2019年の鞘師里保とわたし② ~2012年のBABYMETALとわたし編~
前回の記事はこちら!
今回の記事では、ぶっちゃけ、鞘師はほとんど出てきません!
2019年のことも書きません!
「2019年の鞘師里保とわたし」と銘打ってるのに!
しかし、鞘師のひなフェス以降の活動について今後書いていくための素地として、鞘師以外に書いておくべきことがあるのです。
題して、「2012年のBABYMETALとわたし」です。
わたしはモーニング娘。を好きになる以前から、BABYMETALのファンでした。
ハロヲタ歴よりもメイト歴の方が長いのです。
(ちなみに、“メイト”というのは、BABYMETALのファンのことです)
はじめてBABYMETALを目にしたのは2012年のことでした。
わたしは凛として時雨というロックバンドが好きで、今でもツアーが開催されたら必ず会場へ足を運ぶようにしています。
(なかなか活動してくれないけど……時雨のライブをもっと見たい!)
2012年ごろ、バンドのドラマーであるピエール中野がやたらと推していたアイドルグループが、BABYMETALでした。
(現在BABYMETALはアイドルを自称していませんが、このころ掲げていたテーマは「メタルとアイドルの融合」というもの。めちゃくちゃアイドルでした)
BABYMETALは今では世界を股にかける大物アーティストとして知られていますが、このころはまだ爆発的なセンセーションを起こす前。
世間ではもちろん、音楽ファンの間でもそれほど知られていない存在だったことと思います。
ピエール中野は独自の嗅覚からおもしろいアーティストを見つけ出しては、ファンに布教するということをよくやります。
今は国内大型フェスのメインステージを任されるロックバンド、ヤバイTシャツ屋さんも、わたしはピエール中野によって知りました。
(ちなみにヤバTのベーシスト、しばたありぼぼはハロプロの大ファンで、道重さゆみのTシャツがトレードマーク。そしてさらに、ピエール中野のパートナーである大森靖子も、ハロプロの大ファンで推しメンは道重さゆみ。このあたりの人のつながりもおもしろいです)
ピ様(ピエール中野のファンからの呼び名)がおもしろいと言うならおもしろいんだろう。
と思っていたわたしは、BABYMETALのMVをYouTubeで視聴してみましたが、正直、このときはあまりピンとこなくて、おもしろいことやってるな、ぐらいの感想を持った程度でした。
それは当時のわたしがアイドルというものに偏見を抱いていたことと、無関係ではなかったと思います。今となれば。
さて、BABYMETALとのファーストコンタクトはこのような感じに終わりましたが、ピエール中野のBABYMETAL布教活動は、ライブのMCでアピールするだけでは止まりません。ピ様恐るべし。
(2020/9/1追記:このように書きましたが、ピエール中野がBABYMETALをチェックするようになってからこの時点に至るまでの期間、凛として時雨はライブをしていなかったようです。この記述は記憶違いだったようです)
まず、彼はBABYMETALの話をそこかしこでしていくことによって、ナタリーの企画でBABYMETALと対談することになります。
ここまで見てきただけでも、ピエール中野のBABYMETALへの爆裂パワープッシュはなかなかのものですが、彼はこのあと、とんでもない暴挙に出ます。
普通の人なら考えてもやらないことを、彼はやってのけるのです。普通の人じゃないから!
SU-METALこと中元すず香を小5のときから追ってきたアイドルオタク(=ピ様)の熱量は、並みじゃないです。
わたしはそれを現場で目撃しました。
2012年12月27日に日本武道館で「DECEMBER'S CHILDREN」という音楽イベントが開催されました。
ローリング・ストーンズのアルバムの名をタイトルに冠したこのイベントで、事件は起きます。
出演ミュージシャンはなかなか癖があっておもしろいラインナップ。
・TK from 凛として時雨(凛として時雨のギターボーカルの人のソロ)
・geek sleep sheep(凛として時雨のベースボーカルの人のバンド。リーダーはL'Arc~en~Cielのyukihiro)
・MUCC
・ピエール中野 ←
・墜落モーションFOLK2
半分が凛として時雨の人がらみじゃないか!!
ハイ、こんな素晴らしいイベントだから、わざわざ地方から遠征して日本武道館まで行ったわけです。
それはさておき、ラインナップの下から3つ目をご覧ください。
お気づきでしょうか?
いました! ピエール中野。
ここまでの話の流れから、なにかとんでもない事態が起きるような気がしませんか?
正解です。
なんと、
BABYMETALが出ました!
いちバンドのいちメンバーのいちコーナーに、BABYMETALがひょいっと出演するなんて今じゃ考えられませんが、このときはあったのです。
(ピエール中野が普通の人じゃないから!)
BABYMETALがゲスト出演することは、公演の数日前(2日前くらいだったかな)に発表されていました。
「ピ様ついにそこまでやるのか!」と呆れるばかり。
いや、実際のところ、このカオスな展開にわくわくしながら会場へ行きましたとも。
ピエール中野の出番について、かんたんに書きます。
①ドラムソロ!(ピ様のドラムは手数が多くてドカーンってくらい迫力があります。圧巻)
②Perfumeの『レーザービーム』に合わせてドラムを叩く(当時の持ちネタです)
③セッション(MUCCのギタリストが登場)
~ドラムはける~
④MC
⑤DJ(嵐の『A・RA・SHI』など、自分で歌います)(持ちネタです)
どうです? なかなか楽しそうでしょう?^ ^
さて、⑤のDJコーナーに最後に登場したのが、BABYMETALです。
って、DJコーナーの一環なのかよ!!
嵐の曲を流して自分で歌うのと原理は同じです。
DJでBABYMETALの曲を流したら、BABYMETALが出てきただけです。
(いやおかしいだろ)
という、カオスにカオスを重ねた謎すぎる状況で、わたしはBABYMETALとの初対面を果たしたわけです。
SU-METAL、15才
YUIMETAL、13才
MOAMETAL、13才
わ、わかい……!
披露した楽曲は『ヘドバンギャー!!』
まずね、歌が上手い!
ダンスがかわいい!
そして、ピエール中野のドゲバン!!
(なにやってるんだDJ)
今となれば感慨深いのは、赤いサイリウムを持ったお客さんが少しだけいたこと。
数日前にBABYMETALの出演が決まって、急いでチケットを取ったのでしょう。
今ではBABYMETALのライブではサイリウムの使用が禁止されていますが、当時はまだアイドル色が強くて、認められていました。
その人たち以外のお客さんは、おそらく全員バンド音楽のリスナーたち。
BABYMETALのことを知らない人がほとんどだったでしょう。
このときすでに、BABYMETALは異種格闘技戦に臨んでいたわけですね。
(そんな中でサイリウムを振っていたメイト諸氏もなかなかのものです)
客席は静まり返ってBABYMETALのパフォーマンスに注視していました。
曲が終わり、わたしの斜め前に座っていたMUCCファンのバンギャがぼそりと言った言葉が、耳に聞こえました。
「あの子、歌がうまい」
きっと、日本武道館全体が、彼女と同じことを感じていたことでしょう。
SU-METALの歌声は、見事に爪痕を残してみせたわけです。
観客から見ればピエール中野コーナーのBABYMETALは、完全にイロモノです。
しかし、『ヘドバンギャー!!』1曲という短い時間で、その実力を日本武道館に知らしめたのです。
ピエール中野の布教活動、ここに極まれり。
さて、今現在のわたしが、このときを振り返って思いを馳せることがあります。
SU-METALと同時期にアクターズスクール広島に在籍していた少女、鞘師里保のことです。
当時の鞘師はモーニング娘。に加入して間もなく2年を迎えるころ、14才でした。
わたしはリアルタイムで当時の鞘師を追っていたわけではありませんが、後づけの知識でもって、2012年のモーニング娘。を見ていきたいと思います。
5月
7代目リーダー新垣里沙と8期メンバー光井愛佳が卒業し、8代目リーダーに道重さゆみが就任します。
7月
50枚目のシングル『One・Two・Three/The 摩天楼ショー』が発売されます。『One・Two・Three』は鞘師里保が田中れいなと共にWセンターを務めた、この時期のモーニング娘。を代表する1曲。ここから鞘師は、本格的にグループのエース格としての座を任されていくことになります。
9月
11期メンバーとして小田さくらが加入します。歌唱力に秀でた彼女はデビューしてすぐに頭角を現し、今ではパフォーマンスの核となる存在へとなっています。
11月
翌年の春に6期メンバー田中れいなが卒業すると発表されます。俗にプラチナ期と呼ばれる、ハイレベルなパフォーマンスを見せていた時代を彩った、中心人物のひとりです。
この激動の1年を経て、さらに田中れいなが卒業を迎え、鞘師里保は名実ともにモーニング娘。のエースとして、グループのパフォーマンス面をリードしていくことになるのです。
まったく別の場所で、それぞれの戦いに挑んでいたSU-METALと鞘師里保。
この2人の人生が再び交錯するのは、(少なくとも表立った場所では)この2012年から6年半を経た2019年の6月まで待たねばなりません。
と、ここまで書いてきましたが、思いの外、長くなってしまいました。
(だってピエール中野について書きすぎたから)
もう少しだけ、BABYMETALについて書きたいことがあるので、それは次回の投稿で書くことにします。
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