たまさんブログ

好きなものが好きだー!

『黑世界 雨下の章』第3話「求めろ捧げろ待っていろ」感想【ネタバレ】

『黑世界』東京公演が無事に千穐楽を迎えました。めでたい! まだ大阪公演が残っていますが、コロナ禍を受けて作られたこのお芝居がひとまずの区切りまで完走できたことに、スタンディングオベーションの拍手を送りたいです。ほんとうによかった!

わたしは配信と劇場で雨下の章と日和の章をそれぞれ4回ずつ観劇し、何度も何度も大粒の涙を落としたのですが、この2作を通じていちばん心をもっていかれたのは雨下3話の「求めろ捧げろ待っていろ」でした。

記憶が鮮明なうちに、この作品の魅力について語ってみたいと思います。以下、ネタバレを含みますのでお気をつけください。改行を挟みまーす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目次

 

●お芝居の虚構性と繭期の幻覚

「求めろ捧げろ待っていろ」は、新良エツ子さん演じるチェリーによるイントロダクションに続いて、リリーの唐突な七五調の語りで幕を開きます。

既に日は暮れ魔の時刻

空も大地も茜に染まる

無情の鐘を背に受けて

運ぶ足取り軽やかに

あたしは一人今日もゆく

消えない幻 道連れに

終の棲家を探し求める

終わることない虚無の旅

がんばって配信のアーカイブを文字起こししました(笑)。少し違っていたらごめんなさい。

語の意味はシンプルですが、唐突な七五調はインパクト充分。時代がかった大袈裟な調べの気持ちよいこと。鞘師のクリーンボイスが朗々とセリフに乗り、よく映えて聞こえます。意味よりも調べや違和感を楽しむ場面ですが、最後の2行はリリーの旅の本意をうまく表しています。「終の棲家」=“死”を探し求めているけれども、それは「終わることない」、つまりリリーは不死であり、ゆえにこれは「虚無の旅」である、と。

このセリフはこれから上演されるお話の異質性を強調すると同時に、お芝居の虚構性を際立たせます。ただでさえこれは朗読劇。観客がステージ上に見ているのはキャラクターであるのと同時に、台本を手に持った役者でもあります。キャラクターは役者によって演じられる虚構の存在だという事実を常に突きつけられるわけです(普通ならキャラクターは台本を持ちませんから)。そこへこの突然の七五調の語り。写実を捨ててデフォルメに走った質感に、キャラクターやストーリーは仮初めのものに過ぎないことがさらに強調されます。漫画やアニメのオムニバスもので、写実的な作品が並んでいる中に、デフォルメたっぷりの戯画的な作品が挟み込まれるやつですね。チェリーの語りの「斑模様の乱れた心、まさしく繭期真っ盛り」という「ま」行の頭韻がいかにも虚構らしく聞こえてきます。

ところで、チェリーは冒頭のイントロダクションで、「深い繭期の中では、何が現実で何が妄想なのか区別がつかない」と言っています。上に書いた通り、観客は終始お芝居の虚構性を意識させられているわけですが、それはリリーにとっても同じこと。このお話の中で体験する出来事を、リリーは現実なのか妄想(=虚構)なのか区別がついていないのです。つまり、ここでは観客が感じている違和感とリリーが感じている違和感とがシンクロしているわけです。よくできている! 

ここから、まるでリリーが薬物をキメてグッドトリップしているかのような躁的な世界観が、ステージ上で繰り広げられていきます。

 

●雷山登場

山中を進むリリーの前に、「この道は引き返した方が身のためだ」と言いながら池岡亮介さん演じるイケメンが現れます。彼の名は雷山(ライザン)。のちに人間のヴァンパイア・ハンターであることが明かされます。やたらとテンションが高く(というか気持ち悪く)、煽情的な言動を繰り返します。例えば乳首を見せつけてくるとか。いかにも妄想っぽい!

そもそもヴァンパイア・ハンターならリリーがヴァンプであることに気づきそうなものですが、雷山はそんな素振りをまったく見せません。これもいかにも妄想っぽい!

雷山が言うには、この山には繭期のヴァンプが迷いこんでいる、と。だからリリーに下山するよう忠告します。そして彼はとある女性を探していることを明かし、その場をあとにします。

 

●マルグリット登場

彼が去ると雨が降ってきます。雨に足止めされたリリーは木の下で雨宿りをすることにします。そこへ「そこにいるのはどちらさん?」というセリフと共に、一人の女性が現れます。中尾ミエさん演じるマルグリットです。

「マルグリット」という名を英語読みすれば『LILIUM』に登場した「マーガレット」になります。マルグリットはマーガレットに負けないほどの妄想癖の持ち主ですが、それについては後述。

ところで、このお話の登場人物はみな七五調で語るのですが、マルグリットは定型から外れた自然に近い喋り方をします(セリフ自体は七五調ですが、そこまで時代がかった節回しを使わない、と言うのが正確なところでしょうか)。かすかに虚構性を奥へ潜ませてリアリティーを浮き上がらせるおもしろい仕掛けです。しかも、マルグリットを演じるのはベテランの中尾ミエさん。説得力のある熱演には“ほんとらしさ”が滲んでいます。このようにして虚実が入り乱れていくさまが、この幕のおもしろさだと言えるでしょう。

さて、このマルグリット。夫に先立たれた未亡人である彼女は、この山で人を待っているのだと言います。よく見ると彼女の身体は血に濡れています。マルグリットは自らの生き血で繭期のヴァンプを誘き出そうとしているのです。「集まれ! 集まれ! 集まりなさ~い!」マルグリットはそう叫び、手に持ったナイフで自分の身体を切りつけていきます。戸惑うリリーとチェリー。

 

●雷山とマルグリット

そこへ、先ほどの雷山が姿を現します。

マルグリット「雷山! 来てくれると信じていたわ」

雷山が探していた女性とは、このマルグリットのことだったのです。リリーの「雷山、そしてマルグリット、詳しく話を聞かせてちょうだい」という語りに、チェリーは「正気? 本気? あたし全然聞きたくない」と返します。しかし、リリーは語りを続けます。「あたし全然聞きたいわ。自らを切り刻む女と、彼女にそうさせる美少年。二人の出会いと生き様に、一体なにがあったのか!?」この言葉が曲振りとなって、二人の歌う曲が始まります(この辺りのセリフの応酬はテンポがよく小気味がいいです)。

「〽️雷山イズエクセレント、ヴァンパイア・ハンター」

この歌で明らかになるのは次のような内容。雷山はヴァンパイア・ハンターとして町の人気者となり、ギルドの中でも出世株となりますが、終わることのないヴァンプとの戦いに疲れ果て、剣を捨てたくなります。

しかし、マルグリットは「〽️引退なんてさせないわ。ヴァンプを殺すのがあなたの使命」と呪詛のように歌いかけます。

二人が初めて出会ったのは数年前のこと。マルグリットはヴァンプに襲われ万事休すというところを、雷山に助けられます。その華麗な剣さばきに魅せられたマルグリットは「〽️あたしのハートはズタズタよ」「〽️もっと殺してヴァンプ、もっと守ってあたしたち」と歌います。

この世界ではヴァンプ狩りはエンターテインメントで、ヴァンパイア・ハンターはスーパーアイドル。マルグリットの寄行はすべて推しの雷山に会うためのもの。

雷山はヴァンパイア・ハンターを引退したいと思っているものの、マルグリットの思惑にまんまとはまり、意に反してヴァンプ狩りをさせ続けられます。生粋のヴァンパイア・ハンターである彼は助けを呼ぶ声には抗えないのです。

「もうたくさんだ! 剣を捨てたい! 引退したい! 吸血種なんて殺したくない!」そう喚く雷山に対し、マルグリットは「あの日のあなたをもう一度。あの日のあたしをもう一度。あの日のあたしたちを、永遠に!」と盛り上がりまくっています。もうめちゃくちゃ!

 

●雷山の戦い

ここでリリーがステージ前方に飛び出してきて、ハイテンションで「よく見ると繁みの中に、吸血種、吸血種、吸血種!」とたたみかけます。夢か現か定かではないお話に、リリーも一緒になって高揚していくのです。繁みに潜んでいるヴァンプの余りの多さにリリーは気づきます。「まさか、クランから逃げてきた?」すべてはマルグリットの思惑通り。彼女は近くのクランの門を開放し、おびただしい数の繭期のヴァンプたちを野に放ったのです。「すべては雷山、あなたに会うためよ」雷山、絶体絶命! 全部マルグリットのせい!

ヴァンパイア・ハンターの悲しき性から逃げ出せない雷山は、「引退したい! 剣を捨てたい!」と地べたに這いつくばってジタバタしながらも、結局は正々堂々とヴァンプと戦うことになります。リリーとチェリーは語ります。「吸血種は相手を噛むことでイニシアチブを握る。でもマルグリットは生き血を捧げることで雷山の行動を支配している。彼はもうマルグリットからは逃げられない!」よくこんな無茶苦茶な話を考えるなぁ。

華麗にヴァンプを切って捨てていく雷山と、自分の身体をナイフで刻み、恍惚の表情で「エクスタシー!」と叫ぶマルグリット。リリーとチェリーは叫びます。「我々は一体、何を見せられているのか!」と。観客の代弁。もっともなセリフ。この場面のリリーとチェリーの七五調の語りはスポーツ中継の実況のような、力の入ったもの。まるで二人のハイテンションな語りによって狂気がエスカレートしていくかのようです。

一人のヴァンプがマルグリットに襲いかかり、万事休すというところを雷山が救う様子が、この場面の盛り上がりのピークとして描かれます(でも過剰にバカバカしさが強調されているので緊迫感はゼロ)。

雷山「吸血種め、俺のマルグリットから離れろ!」

マルグリット「また守ってくれた。嬉しいわ、雷山」

まったくもって、我々は何を見せられているのやら。

 

●マルグリットの死

マルグリットは雷山への思いが高まりに高まった挙げ句、「もっと血が必要よ」と、最後には自らのナイフによって絶命してしまいます。「真っ赤な生き血の雨が降る」とリリーの鮮烈な語りが場を盛り上げます。

このマルグリットの死は、好きなアイドルを推すために身銭を切りすぎて身を滅ぼしてしまうオタクの姿を重ね合わせているのでしょう。わたくし、気をつけます!

そして雷山も、引退したいにも関わらずファンの思いに縛られて活動を続けざるを得ないアイドルの姿を重ねたキャラクターなのでしょう。みんなが不幸。

それを元モーニング娘。の鞘師が主演を張るお芝居でやるという不謹慎さも、作り手が狙ったおもしろさなのだと思います(こう書いてしまうと、ちっともおもしろくなくなる人もいるでしょうけれども)。すべてが過剰でなんでもありの世界!

さて「みんなが不幸」と書きましたが、これはあくまでも客観的な視点。お芝居の中では徒花のような退廃美でもって描かれます。マルグリットの死に顔は穏やかなものだったようです。推しへの思いとそのエクスタシーに駆られての死は、それはもう幸せなものだったでしょう。

返り血を浴びて佇む雷山。「それでも彼は美しかった!」と語るチェリー。歌舞伎や大衆演劇であれば見栄を切る場面でしょう。そしてリリーは雷山に、これでもうマルグリットに縛られることはないと言います。雷山の返事は「まだだ。まだなんだ」というもの。シリアスな場面ですが、バカバカしさが売りのお芝居なので、ここで日替わり物真似ネタが挟み込まれるなどして、観客はちっともシリアスな気持ちになれません。

そのとき、たくさんの女性たちが山を駆け上がってきます。「もっと殺して吸血種、もっと守ってあたしたち」と叫びながら。雷山を推す女性はマルグリットだけではなかった、というオチ。

 

●スーパーアイドル雷山

ここで雷山がアイドルばりに歌って踊ります。というか、実際に彼は多くの女性たちのアイドルなのです。そりゃあ男性アイドルソングを歌いますよ。当然です。

「〽️町中の、国中の、世界中の女、女、女、女たちが俺を心から求めている」

いやあ、こわい! 新良エツ子さんの高音コーラスにゾクゾクします。

リリーとチェリーは雷山のバックダンサーを務めます。この曲は『黑世界』の中でもかなり激しめのもので、鞘師のダンスを楽しめるポイントでもあります。雷山をセンターに置き、そのサイドでバキバキと踊るリリーとチェリー。なんだか既視感があります。そう、これはBABYMETALのアベンジャーズとして鞘師が踊っていたときのフォーメーションなのです。作り手の意図は分かりませんが、アベンジャーズを意識したものなのでは?と、わたしは思いました。実際のところはどうなのでしょう?

 

●繭期の幻だといいんだけど

山を登ってきた女性たちのために、雷山は本心を欺きながらヴァンパイア・ハンターを続けていく、というところでこの幕は終わりへと向かいます。

「それは恐怖と絶望、そして悲しみ。いいや、違う! これぞまさしくエクスタシー!」と語る鞘師里保は絶好調。お見事です。

「さあ女たちよ、待っていろ、いま雷山がいくぞー!!」と雷山はアイドルモード全開でその場を去っていきます。

二人残されるリリーとチェリー。「あんたも彼に救ってもらう?」と問うチェリーに、リリーは「残念だけど、誰にもあたしは救えないわ」と返します。リリーを救うことができるのは死だけなのです。

最後に、リリーが「ここであったことすべて、繭期の幻だといいんだけど」とクールに語り終え、本をポンと閉じると同時に暗転。台本を閉じればこの虚構はすべておしまい、というきれいな終わり方です。そして『黑世界』はもとのシリアスなお芝居へと戻っていくのです。

お芝居を通じて続けられる、この虚構性の誇張が魅力的です。夢か現か分からないままのリリーと観客。まるで観客も繭期になってしまったかのような体験を味わえるわけです。

仮にこれがリリーの幻覚なのだとしたら? 繭期は人間でいうところの思春期。そんな年ごろの子がアイドルについて妄想するというのはあり得そうな話ですが、リリーは不老不死の世界を生きています。言ってみれば、思春期の妄想が延々と続いていくわけです。そんな想像を絶した規模の妄想であるならば、普通のアイドルへの憧れだけでは終わらず、こんなはちゃめちゃな奇想を膨らませるところにまでいってしまうのかもしれません。ちょっと味わってみたい……。

なんにせよ、この幕のすごいなと思うところは、奇想天外で笑いを誘う内容であるにも関わらず、TRUMPシリーズの世界観と矛盾なく成立しているところです。むしろ繭期というものをうまく表現していると言えるでしょう。ちゃんと説得力があるように作られているのです。そして、朗読劇という役者が台本を持って演じるお芝居の特性もうまく活かしています。

さらに、気づいたらスーパーアイドル雷山にハマっている、というオマケつき。中毒性がヤバい!

 

といったあたりで、おしまい

 

 

 

黑世界関連の記事↓↓