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『黑世界 日和の章』とりあえずの雑感【ネタバレ】

いよいよ始まりました、『黑世界』!!

このような社会情勢の中で、よくぞ短期間で2公演分のお芝居を作り上げて、上演にこぎ着けてくださりました!

関係者には並々ならぬ努力があったことでしょう。尊敬します。

 

とりあえずの雑感をここに書き殴りたいと思います。

雨下と日和のうち感想を掴みやすかったのは日和の章だったので、そちらについて。

雨下の章はもう何度か観てみないと語れないように思います。

 

ネタバレをたぶんに含みますので、まだ観ていなくてこれから観劇を予定されている方はここから先は読まないでくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目次

 

 

1.朗読劇の性質

『黑世界』は新型コロナウイルスの感染対策として、これまでのTRUMPシリーズとは異なり朗読劇という形で作られています。役者同士はソーシャルディスタンスを保ったまま、本を手に持って自分の演じる登場人物のセリフや地の文を語っていきます。これが思いの外おもしろい!!

演劇というものは、役者という実在の人物が登場人物を演じることで、現実と虚構とが入り交じった場が生み出されるのが特徴だと思います。観客は役者のホンモノの身体を通して、架空の人物の身体を見ているわけです。身体が実物だからこそ、より虚構性が見えやすいのだと言えます。

『黑世界』は朗読劇という形を取ることで、よりその特徴が際立っていた印象を受けました。冒頭で紫蘭と竜胆がセリフを言うシーンで、初め男性の役者が役を引き受けようと名乗り出ますが、MIOとYAEが遮って自分たちが役に相応しいと役を演じることになります。普通の芝居なら初めから紫蘭と竜胆になりきって演じるところを、舞台上で「わたしたちが演じます」と役者として宣言をしてから演じ始める。本来なら舞台裏でおこなわれるはずの、MIOとYAEという役者が役に入り込んでいく過程を、観客は見せられているわけです。

また、役者たちは登場人物として舞台上を動き、話し、歌い踊るわけですが、セリフのパートでは本を手にしたままです。これによって、どれだけ役者が役に入り込んでいようとも、これはあくまでも実在の役者によって作られた世界なのだということが強調され続けます。

少し乱暴な言い方をすると、ここでは役者は交換可能な存在です。実際、紫蘭と竜胆は先に書いた通り、役者が交代しています。あくまでも本を持ってその人物のセリフを喋っているだけですから、役者は暫定的に役を演じているだけの交換可能な存在なのです。

この現実と虚構の入り交じった世界観が、見ていて不思議な感覚を醸し出していました。おもしろい。

 

2.リリーはリリー

しかし、例外がいます。それはリリーです。TRUMPシリーズにリリーが登場するのはこれが2回目。前回演じたのは今回と同じく鞘師里保でした。前作を見ている人からすれば、リリーの身体と鞘師の身体は、ほぼイコールで結びついています。ですから、リリーが登場する芝居で鞘師が紫蘭や竜胆を演じるのはありえない。また、鞘師が板の上のいる限り、他の役者がリリーを演じることもありえない。このように鞘師=リリーはこの芝居において交換不可能な存在です。リリーは他の登場人物とは、本質的に違う存在なのです。これは、前作から6年を経ても当時の少女性を保ったままでいる鞘師という役者の持つ特質によって、違和感なく観客に受け入れられています。このことは『黑世界』という芝居の世界観の核となる部分だと思います。

 

3.朴璐美の身体と少女の身体

しかし、この特質を持つ役がリリーだけなのか?というと、そうではないとわたしは思います。例えば、朴璐美が演じた少女。初めは交換可能な役でしたが、物語が進むにつれてそうではなくなっていきます。

(1回観ただけじゃ登場人物の名前を覚えられない人なので、名前じゃなく「少女」と書きますね)

物語の初めに少女が登場したとき、彼女はまだ子どもでした。年齢を覚えていなくて申し訳ないのですが、確か一桁だったはず。演じる朴璐美は48才。普通なら小さな子どもを演じるのは無理があるのですが、これは朗読劇。役者は交換可能な存在で、あくまでもセリフを読んでいるだけなので、この無理のある設定は「有り」になります。しかも、それをセリフの中でネタにしていました。初めは笑いを誘うおもしろいセリフかと受け止めていましたが、これはあとになってから効いてくる仕掛けでした。声優としてさまざまな年齢・性別のキャラを演じることのできる朴璐美の特質によって、声を聞いている限りでは違和感がないのも絶妙なラインでリアリティーが保たれていておもしろかったです。

物語が進むにつれて少女は年を取っていき、最後には老婆になります。言わば、役が朴璐美に追いつき、追い越していくわけです。その過程で、少女の身体と朴璐美の身体とが、次第に一致していく。初めは交換可能だった役が、いつの間にか交換不可能なものへと変わっていくのです。

この変化が行き着いた先で、リリーと少女の物語は山場に差し掛かります。そして、観客は作り手の思惑通りにまんまと感情移入し、感動させられるわけです。うまい! よくできている! これは朗読劇だからこそ成り立つ仕掛けでした。

めちゃくちゃおもしろいと思いました。

 

3.リリーの母性と誕生

さて、我らがリリーです。

『黑世界』では闇落ちしたダークリリーが見られるのではないかと想像していたのですが、リリーはリリーのままでした。まっすぐな少女のまま。これは鞘師の持つ雰囲気と重なって、観客に自然に受け入れられます。

そして、まさかリリーの母性を見せつけられるとは!! 鞘師のことを「ママ」って呼ぶってヤバいよね(気持ち悪いヲタクの感想)。

また、リリーは物語の中盤で岩盤に押し潰され、川を通り海へ行き着いて身体を再生させます。この場面の鞘師の演技は溜飲モノ。素晴らしかったです。この場面、羊水の中から産道を通って生まれるという出産のメタファーです(ベタっちゃベタ)。リリーはここで生まれ直したわけです。不死のリリーがいったん死んで生まれ直したという見立てが成り立つのおもしろい。そして、まさかベビーリリーが見られるとは。ベビーメタルからのベビーリリー。はい、何言ってるかわかりません。

ともかく、リリーの愛と無垢が強調されていて、これは闇落ちしまくりだったソフィとの対比でしょう。わたしはリリーとソフィとは光と影のような対になる存在だと仮定してちるので、「なるほどな」というところでした。今抱ける感想はこんなところです。今後ふたりが辿る展開が楽しみ。  

 

4.おしまい

といったところで雑感おしまい。

これから何度か観ていく中で他にも感想はたくさん出てきそうです。おもしろそうなことを思いついたらまた書こうかと思います。

みなさまよき『黑世界』ライフを!

 

 

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